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2021年現在、「渋谷」駅は新宿駅に次ぐ世界第2位の乗降客数を誇る巨大なターミナル駅です。
そんな渋谷のイメージと言えば「若者文化の発信地」「ファッションの街」「ITベンチャーの創業地」「東急グループの総本山」など
お洒落なものが一般的でしょう。
しかし、昭和20年代からディープな風俗地帯であり、今もかなりダークな街であります。
戦後、赤線地帯なるものがありました。
公に売春が認められた地域で、東京で言えば「吉原」です。ここで働く女性たちは公娼と呼ばれました。
これは昭和33年「売春防止法」施行まで続きます。
これに対して違法売春が行われている地帯は通称「青線」と呼ばれました。
公娼に対して私娼と女性たちは呼ばれました。
「青線」と呼ばれるエリアは歌舞伎町など都内で6箇所あったと言われています。
その中でもメッカとされていたのが、渋谷百軒店を中心とするエリアです。
当時の資料によれば他のエリアに比べ、客層はホワイトカラーが多く経営者も多かったそうです。
言ってしまえば「ちょんの間」ですが、その中では高級感があり客層も良かったようです。
そんな青線の歴史から脈々と続く渋谷風俗!
20世紀後半~21世紀初頭、ホテトル→DCと呼ばれる「裏風俗」がありました。
都内2大エリアが「鶯谷」と「渋谷」でした!
鶯谷と渋谷道玄坂は都内2大ラブホ密集地です。
歌舞伎町は道が広いこともあり、2地域ほどの密は感じません。
池袋北口は規模が少し小さくなります。
鶯谷にラブホ街ができた経緯は渋谷とはかなり違います。
吉原との関係性だけではなく、隣接する山谷との関連性も強く影響しています。
それはさておきDC全盛時代から、「渋谷」の方が明らかに価格が高かったという事実があります。
鶯谷は昔から熟女店の街だったわけではありません。いつしか風俗嬢も客も高齢化してしまっただけです。
同程度のクオリティの店で、渋谷の90分コースと鶯谷の120分コースが同価格帯でした。
ホテルの料金も渋谷の方が数千円高です。渋谷にもリーズナブルな価格のホテルはありますが、激狭です。
渋谷は日本一ラブホのコスパが悪い街と言って過言ではありません。
「青線」~「DC」そして「デリヘル」へと続く渋谷風俗の歴史。
赤線から続く「吉原」や総合的な歓楽街「新宿歌舞伎町」とは違い、ディープでダークな面を強く持つ「渋谷風俗」それは今も変わりません。
しかし、お洒落な街「渋谷」には若い女のコが集まりやすいため、今でも高価格帯の店が中心となっています。
渋谷発進のいわゆる「高級店」も多く存在します。
渋谷は風俗を経営するのに良い街なのかもしれません。
私は個人的に神奈川県の玄関である「渋谷」を避ける傾向があります。
埼玉県民で「池袋」を避ける人が結構いるのと同じ感じです。
しかし、興味深い街ではありますので渋谷風俗の今後を見続けていきたいと思います。